サラリーマンの仕事がない土日は^ー^

仕事は、サラリーマン。土日の休日に優雅な時間を過ごすのが趣味。野球・サッカー・相撲・映画・宝塚歌劇などさまざまなエンターテインメントの楽しさをお伝えするブログです。

すごいのは男気???そんなんじゃない 広島 黒田 博樹の本当にすごいところは・・・

 

2月22日(土)より2015年オープン戦が始まった。また各種プレイガイドやファンクラブでも開幕戦のチケットの抽選先行もはじまった。

 

「ペナントレースの戦いは、開幕戦から始まるんじゃない!!チケット争奪戦から始まっているんや!!!」

 

 ※今日の面白い記事に触発されました 笑 こちらが面白い記事

                                          ↓

               プロ野球死亡遊戯 | スポーツナビ+ 

結論        正にその通り!!

 各プレイガイドを得意のネットサーフィンで探しまくっていたところ

 

なんと・・・・

 

 

 

開幕3連戦 広島vsヤクルト 3月27日、28日、29日

それぞれで

 

指定席A3塁側

 

げっとぉ~~~~~~~~~~

 

待ってろ!黒田ぁ~~~~

 

しかし別の問題が勃発

 

なんと今度は、宿を予約することができないのだ。宿泊の予約サイトで探して

いるのだがなかなか見つからない。

 

黒田は、もう一野球選手ではなく日本経済を動かす人間になってしまったのか!!

((((((((((^^^^^

 

いやはや・・・・

 

 

 そんな中で今年は、異様なほど広島の話題で盛り上がっている。いや失礼であろうここ数年の広島ファンの盛り上がりといったら尋常ない。

 

去年、8月中旬に神宮球場でヤクルトvs巨人を観戦。延長の末に片岡のサヨナラ本塁打で気持ちよく帰路につくことができた。あまりにも気持ちよくなったので調子に乗って

 

家までタクシーで帰ろうと1万円の大金を払ってタクシーで帰ってしまった 笑

 

 自分自身よくタクシーの運転手と世間話をしたりするのだが、その時にこんな面白い

話をしていた。今の時代、売上を上げようと巨人戦の後に神宮球場前でお客様を拾お

うとするのだが、むしろ広島戦のほうがお客様を拾える率が高いのだと・・・・・

 

そのタクシー運転手曰く、広島戦の時には絶対にお客様を拾えるとのこと・・・・

 

それを聞いた時・・・・時代はかわったのだなと・・・

 

そして更に追い打ちをかけるように今年に入って衝撃のニュースが・・・・・

 

黒田 博樹 カムバック

 

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黒田が広島復帰会見「ファンの熱気強い」 - プロ野球ニュース : nikkansports.com 
 広島復帰の黒田 「自分の役割作りたい」 NHKニュース 
大リーグから復帰の黒田投手、広島到着 16日入団会見:朝日新聞デジタル 
張本勲氏、黒田博樹の復帰について「素晴らしい。男じゃのう」と絶賛 - ライブドアニュース 
黒田「カープで最後の1球」一問一答 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース 

 

 ネット上の反応

 


全国広島カープファンあるある on Twitter: "おかえりなさい❗️黒田博樹選手入団記者会見❗️本日、8年ぶりにカープに復帰した黒田博樹選手が入団記者会見を行いました。🔴お気に入り・RTしてね❗️🔴 http://t.co/ubBuJ60ywO
我らが広島カープ on Twitter: "マエケンと黒田博樹の笑顔に癒され、さらに後ろの佐藤祥万の笑顔にも癒され、今日一日いい日になりそうです!画像お借りしました http://t.co/vHzRa5viy2

 

黒田博樹の経緯を振り返る

 

 黒田博樹 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%8D%9A%E6%A8%B9
父・ 黒田 一博が監督を務めたボーイズリーグのチーム・オール住之江で活躍。上宮高から東都の専修大学へ進学。上宮高では西浦克拓の控え投手だったが、大学では力をつけエースに君臨。チームは4年生春から東都大学1部リーグに昇格する。同年から大学 ...
 

 

 カープ初の日本人メジャーリーガー誕生

 

 

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                                          防御率       勝数        負数    SP  試合数    完投    完封

NPB通算成績 3.69 103 89 1 271 74 14  

 

 しかも黒田在籍時の広島は、万年Bクラスに在籍するチーム。勝ち数よりも負け数が多いチームの中でこの数字を残せるということは、並大抵ではないであろう。

 

2012年1月13日にニューヨーク・ヤンキースと契約合意

 

 

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 メジャーでの活躍は、言うまでもなかろう!!

                                                        防御率  勝数 負数   試合  完投 完封

MLB(メジャー)通算成績 3.45 79 79   212 6 5

 

 ここまでは、既に周知の事実であろうが、自分自身一番すごいと思っていることがプロ入り前の経緯である。

プロ入り前※wikipediaより引用

父・黒田一博が監督を務めたボーイズリーグのチーム・オール住之江で活躍。上宮高から東都専修大学へ進学。上宮高では西浦克拓の控え投手だったが、大学では力をつけエースに君臨。チームは4年生春から東都大学1部リーグに昇格する。同年から大学野球でのスピードガン場内表示が始まった神宮球場において、大学生で初めて球速150km/hを計時した。1部リーグ通算6勝4敗。

 

 

?????  高校時代は、控え投手?????

 

 メジャーで活躍する選手が高校時代は、控え投手かぁ~~~!!自分自身も野球部に

所属していた経験がある。その経験を踏まえ普通、一度控え投手を経験したら野球を

やめて別の道を考えるのが定石なのでは・・・・

 

野球の世界では、上には上がいる世界。

 

一度、自分より上の実力の人間を見てしまうと心がくじけてしまうもの。それを踏まえて野球を続けた結果、

 

メジャーで20億円ほどの契約を勝ち取ることができる投手になるとは、失礼ながら

ちょっと考えられないのでは・・・・

 

それともその控え投手であった経験がここまでの選手へと成長させたのか。どちらにしてもちょっと考えることを想像し難い事実である。

 

 プロ野球の世界では、黒田の他にも高校時代は、控え選手だったがその後、努力をした

結果花を咲かせた選手が数々いる。

 

 

 

 上原浩二(※現 ボストンレッドソックス)

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 こちらのプロ入り前の経歴は、ある意味黒田よりすごい!!

 

 

 

プロ入り前※Wikipediaより引用

大阪府寝屋川市出身。実父が監督を務める少年野球チーム「寝屋川アスナローズ」で野球を始めた[1]寝屋川市立第十中学校では野球部が無かったため、同じ団地内にある「明徳アスナローズ」で野球を続けながら、陸上部に所属した[1]。高校は自転車で通えて野球が強いという理由から東海大学付属仰星高等学校に進学した[2]

1、2年時は中学時代に陸上部で鍛えた脚力を見込まれて外野手を務める一方で、練習では打撃投手を務めることも多かった[3]。3年になって投手になるが建山義紀の控えでほとんど登板機会がなく[1][注釈 1]、同校も夏の府大会で敗退したため全くの無名選手であった。その頃、建山がプロ球団などから勧誘される中、上原は体育教師になる夢を叶えるため大阪体育大学への進学に備える。受験にあたっては運動能力、学力とも合格ラインに達していると自負していたが、結果は不合格であった[1]

この時のショックは未だに忘れられないほど強烈なものだったが、浪人してもう一度受験することを決意。隣町の予備校KEC近畿予備校)に通う傍らジムでトレーニングを積み、更に家計への負担を減らすために夜間は道路工事のアルバイトもこなした[1]。この間の努力は「人生であれほど燃えた1年間はない」程だったという。またこの時期にノーラン・ライアン著の「ピッチャーズ・バイブル」を読んでトレーニングしていた。翌年、再度大体大を受験し合格、野球部に入った。1年半ぶりの投球は上原自身が驚くほど球威が増しており、監督の中野和彦が球速を測らせたところ146km/hを記録した

 

 

 なんともまあ野球選手とは、思えない波乱万丈なキャリア。

 

これを見ると今のメジャーでの活躍が納得ができるかも・・・・

 

 

渡辺俊介(※ 現在 米国 独立リーグ所属)

 

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プロ入り前※wikipediaより引用

栃木県下都賀郡都賀町出身。6歳から野球を始めたが常に控えで、見かねた父の勧めで3番手投手だった中学時代にアンダースローへ転向。國學院栃木高校では当時別格だったというエースで4番の小関竜也がいた事もあり2番手投手で、高校卒業後は東都大学野球連盟所属の國學院大學へ進学。大学時代に、別の選手を探しに来ていた当時の新日鐵君津應武篤良監督が初めて生で見たアンダースローの投手の好投を偶然見かけて目に留まる。社会人野球の新日鐵君津へ1999年に入社。應武監督に言わせると「たまたま好調だった登板を見かけた」だけであり、当初の投球は左打者の背中を抜けていくことが幾度も見られるほど、とても制球力が悪かった。“指に引っ掛かり過ぎるリリース”に難点がある、と見抜いた應武監督からカーブを投げることでリリースを改善していく指導を受け、目に見えて制球力が高まった。

2000年読売ジャイアンツの春季キャンプに参加した際、対面した清原和博に「プロになって対戦するだろう」と予言されている。当時はチーム内で恩田寿之に次ぐ2番手投手だったが、同年夏の第71回都市対抗野球大会の南関東2次予選で恩田がフル回転して本大会の出場権を手にしたものの肩や肘に違和感を覚え、本大会では渡辺が先発投手の柱として全4試合に登板して、三菱重工広島トヨタ自動車西濃運輸を破り4強入りし、優秀選手賞を獲得。プロアマ混成チームのシドニーオリンピック野球日本代表にも選出され、対イタリア戦では中継ぎで登板し勝利投手になった。対キューバ戦でも中継ぎで登板したが3ラン本塁打を打たれ敗戦投手となった。秋には社会人野球日本選手権大会8強入り、同僚の野田浩輔と共にプロ入りを表明。同年秋のドラフト会議千葉ロッテマリーンズから4位指名を受け入団。

 

 

 

この話も結構すごいものがある!!

 

 小笠原道大(※現 中日ドラゴンズ)

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プロ入り前※wikipediaより引用

7歳で野球を始め、千葉西リトルリーグでプレーする。1989年暁星国際高等学校に進学したが、入学時は全く無名の選手で、当時の監督曰く「千葉西リトルの(中学)2年生で欲しい選手がいて、その選手を獲る代わりに頼まれたのが、どこからも声のかからない小笠原だった」という[1]。それまでは遊撃手三塁手外野手の複数のポジションをこなしていたが、高校進学と共に二塁手コンバートされ、翌1990年にはチーム事情から捕手に再転向(ただし本人は「捕手は一番嫌なポジション」だったという)[1]。高校2年時には、北川哲也と共に夏の県大会準優勝を果たしている。なお、今でこそ球界屈指の強打者として知られるが、高校通算本塁打は0本で、県内でも注目された選手ではなかった[2]

卒業後はNTT関東に入社。ポジションは「仮に選手としてダメでもカベ(ブルペン捕手)で残れるから」という理由[1]で捕手を続け、後に日本ハムでも同僚となる立石尚行とバッテリーを組んで活躍した。1996年には第67回都市対抗野球で立石と共に新日鐵君津の補強選手となり、松中信彦とクリーンアップを組み、チームのベスト8入りに貢献。

この年のドラフト日本ハムファイターズから3位指名される。

 

 

 この話も何か野球に対しての並々ならぬ執着心のようなものを感じる。

 

 自分自身、巨人戦で東京ドームに足を運ぶのだが、中日の代打で出場した時に

巨人ファンから大きな拍手が巻き起こる。

 

まとめ

 

黒田のすごいところは、どんなに苦しい時でも自分の可能性を見続けていること

ではないだろうか!!

 

我々は、黒田選手の野球に対するその姿勢に対し男気を感じ、日本で投球する姿を

待ち望んでいるのではないだろうか!!

 

今年は、巨人だけでなく広島も楽しみだ^ー^

 

   

 

 

 

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